1960年代の象徴的な女優ブリジット・バルドーの87歳の姿が認識不可能なほどに
1月 07, 2021 by apost team
87歳のブリジット・バルドーは、国際的な映画スターとして活躍していた若かりし頃の姿をほとんど認識できないほど変化を遂げたように見えます。1956年に主演した映画素直な悪女で、印象的な役を演じ彼女は、瞬く間に名声を得ることになりました。
他にも数々の成功を収めた後、バルドーは1973年に女優業を引退し、動物愛護の活動に専念するようになりました。
伝記,によると、 ブリジット・アンヌ=マリー・バルドーは1934年9月28日、フランスのパリで裕福な上流中流階級の家庭に生まれました。フランストゥデイ(今日のフランス)によれば、彼女の父親は実業家でアマチュア映画監督でもありました。母親はファッションとバレエに興味を持っており、母親と同様バレエに興味を持ったバルドーは10代の頃、パリ国立高等音楽舞踊学校でバレエを学びました。
バルドーの家族は豊かな暮らしをしていました。アルプスや大西洋岸、サントロペなどで過ごした贅沢な休日のほかには、パリ16区のポンペ通りにあるエレガントなアパートで暮らし、週末にはパリ西部のルーヴシエンヌにある別荘のコテージを行き来しながら生活を送っていました。
豊かな生活の中でも、バルドーの両親は彼女や妹を甘やかすことはありませんでした。
"両親は私を厳しく育てました。その頃は辛いこともありましたが、今ではそのことについて両親に感謝しています" とバルドーは伝記の中で、述べています。
幼い頃に妹と一緒に誤って中国の花瓶を壊してしまった事件で、両親から叩かれて叱られたこともについても書かれています。バルドーは、彼女のイニシャルから愛情を込めて「BB」という愛称で呼ばれていました。フランス語で「赤ちゃん」を意味するbébéの名残りでもあります。
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素直な悪女など1960年代に性的に解放された女性を演じたことで一躍有名になったバルドーには、このニックネームがぴったりでした。バルドーは当時22歳でした。バルドーの最初の結婚相手は、ロジェ・ヴァディムで、素直な悪女の監督としてバルドーを有名にした人物です。
ニューヨークタイムズによると、バルドーは彼に出会った時わずか16歳でした。1952年、ヴァディム監督が24歳、バルドーが18歳の時に二人は結婚しました。バルドーの両親は厳しかったため、初めは若すぎるバルドーとヴァディム監督の交際に反対したものの、最終的には二人の関係を許すようになりました。両親はバルドーが18歳になるまで結婚を許さなかったといわれています。
結婚してからも、ヴァディム監督は女優としてのバルドーの熱烈なファンであり続けました。ニューヨークタイムズによると、素直な悪女での彼女の役柄について、彼は次のように述べています。
"私は普通の若い女の子を描きかったのですが、唯一の違いは、彼女が道徳や性的なレベルで罪悪感のない少年のように振る舞うことでした。"
夫婦は結局、5年後の1957年に離婚します。ヴァディム監督は癌との闘いの末2000年に享年72歳で亡くなります。
Brigitte Bardot (1950), (Herbert Dorfman/Corbis/Getty Images)素直な悪女での成功の後、バルドーは海外観客向けの映画を含む多くの映画に出演した。ジャン=リュック・ゴダール監督の 軽蔑, ルイ・マル監督の ビバ!マリア 、彼女の架空のイメージを中心に制作されたハリウッド映画Dear Brigitte (ボクいかれたヨ!)、そしてロジャー・ヴァディムと再会した最後の映画、Don Juan, or If Don Juan Were a Woman (ドンファン)などがあります。一方、共演者の中にはハリウッドの大物俳優のジェームズ・ステュアート, アンソニー・パーキンス,そしてショーン・コネリーなどが挙げられます。数多くのフランス人俳優とも共演しました。
女優としてのキャリアを開花させる一方で、バルドーは音楽のレコーディングも始め、主にフランスの歌手 セルジュ・ゲンスブールと仕事をし、60年代と70年代にかけていくつかのアルバムをレコーディングしました。
バルドーはさらに多くの映画に出演して、エリザベス女王や世界的な女優の象徴であるマリリン・モンローと会う機会もありました。"彼女は素晴らしいと思いました。" とマリリン・モンローについてバルドーは語っています。"彼女は誰にも理解されずに搾取された女性です。それが最終的に彼女を殺したのだと思います。" ガーディアン誌によると、彼女はキャリアの絶頂にあった1973年に、動物愛護活動に人生を捧げるためにスターの地位を捨てました。成功した女優としての人生を諦めることについて、バルドーは次のように述べました:
Brigitte Bardot (1968), (Len Trievnor/Express/Getty Images)"素晴らしい女優の大半は悲劇的な結末を迎えます。私がこの仕事、この豊かさと輝き、イメージと憧れ、望まれることへの探求に別れを告げた時、私は自分自身の人生を救ったのです。”
彼女は続けて、有名人であることを"息苦しい"と表現しています。彼女の著書 闘いの涙:動物愛護の回顧録(Tears of Battle: An Animal Rights Memoir)にて、人間は自分自身の利己的な欲望から苦しみと悪を負わせますが、動物と自然に触れ合うことを通して心の平穏を見つけましたと語っています。
明らかに、動物を助けるための新しい人生の追求にコミットしたバルドーは、新たな一歩を踏み出したように見えました。彼女は次のように述べました。:
Brigitte Bardot and her third husband Gunter Sachs (1967), (George Stroud/Express/Getty Images)"私は私の美しさと若さを男性に与えました。私は動物に私の知恵と経験を与えようとしています。"
1986年、ブリジット・バルドー財団(La Fondation Brigitte Bardot) (FBB)を設立しました。同財団のウェブサイトによると、FBBは野生動物の飼育、毛皮生産のための動物への残酷な扱い、狩猟、密猟、闘鶏などの生き物の血を流すスポーツ、捕鯨、アザラシの狩猟などに反対して戦っています。 2019年2月、バルドーは自身の財団の功績について、こう語りました:
「チリでは野生動物病院の建設のために資金を提供し、ブルガリアでは虐待されたクマを保護する公園を、オーストラリアではコアラを、タイではゾウを、チュニジアでは馬を保護するための資金を提供してきました。財団が活動していなかったら、たくさんの種を保護するプログラムは存在しなかったでしょう。」
2015年には、バルドー自身が カール・ラガーフェルドの愛猫シュペットに手紙を書き、毛皮取引における動物の窮状を飼い主に知らせるように「懇願」しました。
"彼は自分の猫のために身をかがめますが、自分のコレクションのために犠牲になった動物たちや、最も無益で下品なファッションのために犠牲になった多くの動物のことはまったく気にしていません。毛皮は贅沢品ではありません:動物たちの死と苦しみの産業です。私たちは、毛皮のコートやすべてのアクセサリーをボイコットしなければなりません。"
Brigitte Bardot (1991), (ARNAL/Gamma-Rapho via Getty Images)バルドーは、女優の仕事と後の動物への献身で最もよく知られていますが、世界で最もハンサムな男性と恋愛するなど、ダイナミックな恋愛生活も注目に値します。バルドーはセックス子猫(sex kitten) というセクシーな女性のイメージを広めた女性なのです。1957年に終わったロジャー・ヴァディムとの結婚が破談になったのは、彼女が他の男性と2度浮気したことが原因だったと言われています。そのうちの1人は、素直な悪女で共演したジャン=ルイ・トランティニャンであり、バルドーは彼と2年間同棲しましたが結婚はしませんでした。
別れた後、バルドーは別の俳優ジャック・シャリエとデートし、彼と結婚して一人息子のニコラ・ジャック・シャリエを産みました。1962年に離婚した後、息子は父方の家族と暮らし、大人になるまでバルドーとはあまり関わりがありませんでした。
3度目の結婚は、ギュンター・ ザックス(Gunter Sachs)というドイツの大富豪で、彼は自身もプレイボーイだったということです。この後、アメリカの俳優グレン・フォードやウォーレン・ベイティなどの男性や、よく一緒に仕事をしたフランスのミュージシャン、セルジュ・ゲンスブールとの交際が報じられています。
彼女は1992年に政治顧問のベルナール・ドルマーレと4度目の結婚をしており、現在も2人は一緒に暮らしています。
バルドーはたくさんの男性と流動的な関係を持ち人々に印象付けました。 "貞節でありたいと願わないなら貞節を守らないほうがいい。"と述べています。 どちらにしても、彼女の愛への献身は軽い気持ちで行われたことではないようです。次のようなコメントも残しています:
Brigitte Bardot (2007) (Gilles Bassignac/Gamma-Rapho/Getty Images)"私は愛するとき、計算することなくただ愛します。完全に自分自身を与えます。そして毎回、それは私の人生の壮大な愛なのです。"
その存在感でポップカルチャーを豊かにしたバルドーは、ファッションと生き方に大きな影響を与えました。常に優美さとセクシーさを兼ね備えた完璧なイメージを持つブリジット・バルドーの、世界的なスタイルへの影響力を否定することはできません。セックスシンボルとしての彼女の地位は、ビキニを普及させることに繋がりました。ビキニは当時フランスでは受け入れられていましたが、アメリカではまだ危険とされていました。いわゆる、両肩が露出して大きく開いた「バルドー」と呼ばれるネックラインは彼女にちなんで名づけられたもので、また、ヘアスタイルのトレンドも生み出しました。
ファッション雑誌で何度も真似されているバルドーのポーズもあります。彼女はかつて次のようにコメントしています。"写真は私たちを見返すことを決して止めない人生の瞬間を撮った永遠です。"さて、幸運なことに、彼女は女優を引退してから1年後、バルドーが40歳の誕生日を祝ってプレイボーイの 写真撮影でヌードのポーズをとったときに、彼女の美しさと若さを不滅にしました。
彼女のファッションセンス、演技や音楽の才能、動物への献身、あるいはスクリーン上とスクリーン外の両方で表現した多くの愛情を通して、世界中の女性に新しい生き方を開き、女性がどのように行動すべきかという個人的な自由を与えてくれました。ブリジット・バルドーは真に女性の象徴です。スポットライトを浴びるキャリアは短いですが、彼女の影響は深く、87 歳になった今でも続いています。
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