ハリー王子は若かりし頃の父チャールズ皇太子にそっくり
1月 14, 2021
フィリップ王配やウィリアム王子のような今日の王室のほとんどの男性はヒゲを剃ったすっきりとした面持ちで清潔感が漂う印象を与えますが、ハリー王子の赤褐色のヒゲはトレードマークのようになっています。しかし、1976年に撮影された若かりし頃のチャールズ皇太子の写真の中には、未来の皇太子がひげを生やしている珍しい写真があり、息子のハリー王子にそっくりなことに気づかずにはいられません。
サセックス公爵とも呼ばれているハリー王子は2013年に初めてヒゲを生やし始め、当時南極でトレッキングをしている際に撮影された写真がタブロイド紙に公開されて話題になりました。彼の新しい外観は王室のファンにとって歓迎すべき変化として受け入れられましたが、一方で、彼の祖母はあまり喜んでいなかったようです。サンデー・エクスプレス紙によると、エリザベス女王は一般的に顔の毛を好まないため、王室内のロイヤルスタッフは全員ヒゲを剃るようにという厳しいルールがあると言われています。王族の人たちは軍や遠征で宮殿を離れている時にヒゲを生やすことは許されていますが、宮殿に戻ると女王はヒゲを剃ることを期待します。
ハリー王子は旅行から戻った後も数週間ひげを生やし続け、その年のクリスマスの日に、サンドリンガムの教会での礼拝で新しい外観で発見されました。女王がハリー王子のヒゲを禁じたと、王族の人の口から直接確かめられたわけではありませんが、そのクリスマスの後の長い間、王室のファンが王子の赤褐色のヒゲを見ることはありませんでした。
apost.com
しかし、それから18ヶ月後、ハリー王子の無造作なヒゲ姿が戻ってくることになります。 US マガジンによると2015年の夏にハリー王子がアフリカをツアー中に、アフリカン・コンサベーション・エクスペリエンス(African Conservation Experience)のクルラ野生動物保護(Khulula Care for Wild)を訪れた際に、再びヒゲを生やしている姿が撮影されました。多くの人は、イギリスに戻ったらヒゲを剃るのではないかと予想していましたが、ハリー王子はそれ以来、無造作なヒゲを生やし続けています。
2018年のメーガン・マークル妃との結婚式に向けて、王子がヒゲを剃ることになるのではないかとファンが心配していた時期もありました。 メトロによると、ハリー王子は陸軍の制服を着て式に出ることになるので、大切な日のためにヒゲを剃った素顔で出席ことになるだろうと、当時のソーシャルメディアで多くの憶測がシェアされていました。通常、男性は軍隊の制服を着る時にヒゲを剃ることが期待されますが、 2015 年に兵役を終えたので、このルールがまだ王子に適用されるかどうかは明らかではありませんでした。
バッキンガム宮殿はその後すぐに声明を発表し「女王陛下はハリー王子が制服で結婚するための許可を与えた」ことを明らかにしましたが、メトロによると、この声明にはハリー王子のヒゲも含まれていると理解されていました。
ハリー王子はヒゲを生やし始めてまだ間もないのですが、ヒゲなしの姿が想像し難くなっています。王室ファンの多くは忘れているかもしれませんが、他の王族のシニア男性も短い期間ではありますが、過去にひげを生やしていたことがあります。
少し前に、ハリー王子の祖父であるフィリップ王配が若かりし頃にヒゲを生やしていた写真が当時のフランスの雑誌に掲載されたことが再浮上し、二人の驚くほどのそっくりさにソーシャルメディアで話題になりました。その写真は、王室御用達の写真家クリス・ジャクソンが彼のインスタグラムでシェアしたもので、1957年発行の『パリ・マッチ 』の表紙に若いフィリップ王子が掲載されていたものでした。
2018年にロイヤルファミリーのソーシャルメディアアカウントで共有された別の写真では、ハリー王子がヒゲを生やしている父チャールズ皇太子にどれ程似ているかを確認できます。エクスプレスによると、写真には1976年5月に行われたバトミントンホーストライアルに参加した際にめずらしく濃い茶色のひげを生やしている27歳のチャールズ皇太子の姿が写っています。写真に記録された父と息子のそっくりさは驚くべきものでした。多くのファンはすぐに2人がどれだけ似ているかについてコメントで書き残しました。
「チャールズ皇太子さま、お誕生日おめでとうございます!ヒゲを生やした写真は、今のハリー王子にそっくりですね(赤毛を除いて)。わあ!皇太子さまも息子もハンサムでそっくりですね!」とツイートしたロイヤルファンもいました。
「ヒゲを生やしたチャールズ皇太子の写真は現在のハリー王子にとても似ていますね。」と他の人はコメントしました。
チャールズ皇太子とハリー王子の写真は、子は親に似ることを明らかに示しています。二人ともチャールズ皇太子の父とハリー王子の祖父であるフィリップ王配によく似ていることから、このことがさらに証明されています。
チャールズ皇太子は1948年11月14日、エリザベス女王2世とフィリップ王配の長男であり、王位継承者でもある皇太子として生まれました。当時まだ王妃だったエリザベスは、ギリシャとデンマークの王族の子孫であるフィリップ王子と出会い、二人は1947年11月20日にウェストミンスター寺院で結婚しました。翌年にはチャールズが誕生しましたが、それは二人の最初の結婚記念日からほぼ1年が経過していた頃でした。女王とフィリップ王配の間には、チャールズ、アン、アンドリュー、エドワードの4人の子供がいます。
わずか数年後の1952年2月、エリザベス女王の父ジョージ6世が亡くなり、エリザベス女王は1953年6月2日、26歳の若さでイギリスの女王になりました。
長男であるにもかかわらず、チャールズ皇太子と父フィリップ王配の仲はあまり良くないことが長年にわたって明らかになっています。エクスプレス(Express)によると、フィリップ王子はかつて次のように語ったそうです。
「チャールズはロマンチストで私はプラグマティストです。私たちは物事の見方が違います。私はロマンチストのように物事を見ていないので、感情的になりません。」
同じ記事によると、1994年にチャールズ皇太子は公認の伝記作家ジョナソン・ディンブルビーに、両親と「感情的に疎遠になっている」と感じたことがあり、両親は彼が望んでいた愛情を「提供することができない、または提供する気がない」と明かしていたということです。公の場ではいつも礼儀正しく、友好的に見えますが、閉ざされた扉の向こうで王室の実態がどうなっているのか、知ることは難しいのが現状です。
チャールズ皇太子とハリー王子もまた、いつも良好な関係を保っているわけではないようです。1984年9月15日、チャールズ皇太子と故ダイアナ妃の間に生まれたハリー王子は、兄のウィリアム王子の次に生まれた2人目の子供であり、息子でもあります。幼少期からメディアでよく比較されていた2人ですが、それは家族の中でも同様だったようです。さらに、兄弟の父チャールズ皇太子との関係は、必ずしも簡単なものではありませんでした。
エクスプレスによると 自由を求めて(Finding Freedom)と題されたハリー王子とメーガン・マークル妃のロイヤルファミリーからの離脱について書かれた非公式の伝記では、ハリー王子とウィリアム王子とチャールズ皇太子の関係が「熱くも冷たくも吹く」と書かれています。同書の著者のオミド・スコビーとキャロリン・デュランは次のように記述しています。
「チャールズ皇太子は、私財の収益を通じて多くの公共活動、慈善活動、私生活の活動に資金を提供していますが、コーンウォール公国が『財布の紐をコントロールしていた』のでウィリアムとハリーの間にもいくつかの問題を引き起こしました 。」
さらに伝記では次のように書かれています。
「兄弟は時々、プロジェクトのための追加の資金を父親から競わなければなりませんでしたが、父親はカミラ夫人に関連する費用や息子たちのための費用(キャサリン妃とメーガン妃のワードローブを含む)の一部をカバーしていました。」
資金の会議に関わったことのある関係者は同記事で、チャールズ皇太子は2人の父親であるだけでなく「2人の上司でもある」と述べており、そのことが2人の関係をより複雑にしているといわれています。さらに、ハリー王子はチャールズ皇太子とダイアナ妃の次男であり、将来の国王になると予想される兄のウィリアム王子はハリー王子よりも優先順位が高いため、上下関係の問題も浮上してきます。側近者は次のように述べています。
「家族の中で生まれたタイミングは家族内での権力のポジションを決定し、そのためにハリー王子は常に弟として二番目に位置付けられます。特に資金面ではそうです。」
マスコミが長年の間2人の兄弟を比較していたようにに、王室の家族内でも同じようなことが行われていたのです。ハリー王子とメーガン・マークル妃が突然、ロイヤルファミリーの公式な立場から退くことにした理由がさらに明確になりました。その上で、彼らが去るという決断は、長い目で見れば二人の関係をより良いものにする可能性は低いだろうと見込まれています。
ハリー王子には現在、アーチー・マウントバッテン=ウィンザーと名付けられた息子がおり、ハリーが実の父や祖父から受け継いだように、彼もまた父の容姿を受け継ぐ可能性が高いことが予想できます。しかし、王室の男性を悩ませてきた緊迫した父と息子の関係が、アーチーに受け継がれることがないことを願いましょう。ハリー王子とメーガン・マークル妃がここ数年、世間の詮索や王室のルールから離れて自由な生活を送るために選択してきた過程を見ていると、ハリー王子とアーチーがこのサイクルを断ち切る可能性が高いことが予想できます。
皆さまもハリー王子がヒゲを生やしていた頃の父チャールス皇太子にそっくりだと思いますでしょうか? イギリス王室で父と息子の関係が複雑に絡み合っていたことをご存知でしたでしょうかか? コメント欄で皆様の感想を教えていただければ嬉しいです。